「古事記」「日本書紀」に記載された“日本最古の築堤”と言われてきたが、門真市による昭和57の「宮野遺跡発掘調査概要」では、室町初期の木組み遺構が発見され、現遺構の実年代は中世の可能性が大/現在、この遺構が“何か?”については、①この辺りに古代の築堤があった(古代の淀川が現在より南方、旧茨田郡の中央を流れていたために、低湿地帯であった集落を水害から防ぐため)が、現遺構は室町期の新設 or 修築によるもの、②古文書に見られる下神田の「横堤」の一部ではないかという説、③室町後期の城郭の一部という説、④中世の奈良街道(兼堤防)などの可能性が指摘されている